群馬県川場村

道の駅川場田園プラザ

群馬県川場村

道の駅川場田園プラザ

群馬県川場村 年間220万人が来場


都会から地方にでかけて、地元の方によく言われるのは、うちの地域には「何もない」。群馬県川場村も、かつては、そのような地域の一つであった。しかし今や、年間220万人を集客する道の駅が誕生しています。地域独自の魅力的なコンテンツを揃え、活況を呈しています。 全国モデル道の駅・重点道の駅・2014年には関東道の駅アワードNo.1を獲得し、全国のランキングでも毎年上位に食い込むほど人気となっています。

子供も楽しめる仕掛け


「道の駅川場田園プラザ」は、地域の魅力をぎゅっと集めた道の駅です。5万ヘクタールを越える広々とした敷地内に、飲食店を中心とした10店舗以上が点在しています。店舗には野菜や果物などを買えるファーマーズマーケット・地元の食材を使ったレストランやパン工房・ピザハウスなどがあります。さらには、子供が遊べる遊具やちびっ子ゲレンデも。このような、道の駅らしからぬ業態が訪れる人を魅了しています。

Interview



Kumagai Taishi

群馬県川場村役場に訪問させていただき、ご担当のみなさまに、地域の取組をインタビューさせていただきました。その様子を、ご紹介させていただきます。 ご参加頂いた方です。小林聡史(観光企画課主任)・戸部拓摩(観光企画課主事)。私達は古川亮太と熊谷大志がお聞かせいただきました。

Kumagai Taishi

本日は、業務ご多用の中、調査のインタビューをお受けいただきまして、ありがとうございました。事前にお送りさせていただきました。質問表の内容を中心に、お話をお聞かせいただければと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

いえいえ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いたします。また、この度は、遠くからお越しくださいまして、ありがとうございました。何かの参考になれば、幸いです。

Kobayashi

Kumagai Taishi

では早速に質問に移らさせていただきます。「道の駅 川場田園プラザ」についてです。 この「道の駅川場田園プラザ」は地方創生の成功事例として多くのメディアで紹介されているかと思います。まずはその成り立ちについてお聞かせいただけませんか。

はい、ありがたいことに多くの観光客にお越しいただき、多くのメディアで紹介をしていただいております。 この「道の駅川場田園プラザ」の成り立ちをご説明するには、川場村と東京都世田谷区の関係を説明する必要があります。川場村と世田谷区は1980年から縁組協定を結んでいます。この縁組協定については後ほどご説明いたします。そして、この縁組協定で田園プラザ事業というものが提起されました。世田谷と川場村の交流・情報・経済の核として行政・文化・宿泊施設を持つ場所(都市機能を有する村中心地区)を作ろうという事業内容でした。そして、これが現在の「道の駅田園プラザ」になります。つまり、当初は道の駅ではなく、世田谷と

Kobayashi

Kumagai Taishi

当初は道の駅ではなかったんですね。そこから成功事例と言われるまでになったんですね。ズバリ成功の要因は何だったんでしょうか。

一概にこれとは言えませんが、あげるとしたら成功要因は①指定管理の変更②ブランド③距離的要因などが挙げられるかと思います。

Kobayashi

Kumagai Taishi

指定管理変更というのは永井社長の就任ですね?

はい。そうです。やはり成功事として多く取り上げていただいてるだけあって永井氏のことはご存知ですね。 道の駅の開始から2007年までは、行政主導の株式会社田園プラザが運営をしていました。実はその際、経営は赤字続きでした。そこで、2008年から永井氏への運営を要請し、指定管理者、つまり経営の変更が行われました。そして、なんと2年目で黒字化です。さすがとしか言いようがありません。

Kobayashi

Kumagai Taishi

さすがですね。 では成功要因の2つ目、ブランドとはどういうことでしょうか。

これも実質、永井氏のお力が強いかと思いますが。「川場ブランド」の確立です。去年では年間230万人の方に訪れていただいております。 決して車通りが多いわけではありません。しかし、わざわざきてくださる「ファン」が多くいらっしゃいます。約40年間の運営実績の歩みには、新施設や新商品を打ち出す、顧客を来させない取り組みがあります。そのほかには道の駅ぽくない建築スタイル、広さ、公園のような風景があります。これらがほかにはない、川場ブランドを築き揚げたのだと思います。もちろん永井氏の経営手腕ということになるかと思います。

Kobayashi

Kumagai Taishi

なるほど。わざわざ来る理由があるということですね。 では最後の距離的要因というのはどういうことでしょうか?

総人口3,270人の田舎ではあるものの一応に関東圏内です。やはりこれも成功の要因かと思います。東京から日帰りで来れる立地が強みで休憩ではなく滞在型道の駅として利用いただいています。

Kobayashi

Kumagai Taishi

たしかに。立地の強みがありますね。

はい、ですがその一方で、訪れる人の8割が日帰り、且田園プラザ訪問で完結してしまっているという課題があります。 では次は先ほど触れました世田谷区との交流についてご説明いたします。

Kobayashi

Kumagai Taishi

お願いいたします。

始まりは1979年です。この年に世田谷区の基本計画の重点プロジェクトに「区民健康村づくり」が位置づけられました。この計画は、世田谷区民が都会で望めなくなった豊かな自然に触れながら、地方の方々と相互に協力して交流を深めていくことを目的とした区民の「第二のふるさと」づくり計画です。そして、その候補地として関東7都県と静岡、長野、山梨、福島から52市町村が挙げられ、その中に川場村がありました。そして、1980年に川場村が選出されました。これにより両自治体の縁組協定が結ばれました。

Kobayashi

Kumagai Taishi

両自治体には長い歴史があるんですね。この関係は川場村に取ってどのような関係なんでしょうか。

非常にありがたい関係だと思います。現在では、年間60回、世田谷へ農家などが訪れ出店のイベントを行なっています。これにより農家個々にファンがついており、「〇〇さんのお米じゃないと買わない」など指名買いはしてくださるのが普通なくらいです。また、世田谷市の小学生は小さい頃に「移動教室」で必ず川場村を訪れてくれます。現在年間述べ20万人の子供達がが訪れ、農業体験などを行います。幼い頃体験した方が移住してりんご農家になった事例もあります。

Kobayashi

Kumagai Taishi

そうなんですね。地域の皆さんにとっても実利的な関係なんですね。 では、最後になりますが川場村の今後の展望をお聞かせいただけませんか?

豊かな自然環境に恵まれた川場村は、里山や田園景観を生かした「田園理想郷」を目指して地域づくりを進めております。産業振興では、北にそびえる日本百名山の「武尊山」などから流れ出す清流を生かした農産物のブランド化を推進し、清涼な水から育てられた川場村産こしひかり「雪ほたか」は米・食味コンクールにおいて金賞を連続受賞、観光では道の駅「川場田園プラザ」が全国モデル道の駅に選ばれるなど高い評価を受けており、「農業+観光」の村として躍進を続けております。今後もこの「農業+観光」の村づくりを進めて参ります。

Kobayashi

© Kamae Road Side Station / Assosiation for Kamae Revitalization, all rights reserved. | 個人情報保護方針|